教育・研修

多様な
キャリアパス

個人のやりたい気持ちを可能な限り叶える風土
理想のキャリアは自分で叶える

高度急性期の総合病院でありながらも大きすぎない私たちは、個人の声が届きやすいという特徴があります。
個人のやりたい気持ちを叶えるためには調整がつきものですが、そういった調整が比較的スムーズに行える風通しや規模だということです。そして、何より個人のチャレンジを叶えてあげたいと思う風土で、可能な限り「やりたい」気持ちに応えられるようにと考えています。

先輩たちのキャリアパス

H_R

職域や役職にとらわれず、組織の成長のために自ら貢献できること幅広く、知識やスキルを身に着けて実践したいと思います。

入職1年目 救命救急センター、ICU

憧れていた救命救急の現場で、高い使命感を持ちながら刺激的な実践を積みました。

入職4年目 内科病棟、看護外来

救命救急に勤めているときは、患者を“生かす”ことに賢明でした。その後、がん患者などが自らの生を選択し“生きる”ことを支える看護がしたい!と思って、血液内科のある当院に転勤しました。そして骨髄移植後の患者を長期的にサポートする看護外来も兼任し、退院ころの生活支援や意思決定支援に携わることができて貴重な経験をしました。

入職7年目 内科病棟

新人教育を担当するようになり、教育学を体系的に学びなおすために、働きながら大学で教育学を学びました。そのころ、組織論や人的資源管理などといった教育の充実とマネジメントは一体であることを実感し、同時にマネジメントについても興味を持つようになりました。

入職10年目 内科

看護係長を拝命して看護師長のもとで部署のマネジメントに参画しています。認定看護管理者教育課程ファーストレベルを修了後、部署での実践を通じてマネジメントをより体系的に学ぶ必要性を感じ、現在は大学院経営研究科ヘルスケアマネジメント領域に在学しています。

I_M

呼吸器を中心に、慢性疾患を持つ患者さんがどこに居ても必要なケアを受けられるように、医療者のスキルアップの支援を少しずつでも進めていきたいと思っています。

看護師1年目 某大学病院 血液内科病棟

骨髄移植や化学療法等を受ける患者さんのケアを多く経験し、悪性かつ慢性の病気を持ちながら生きていく患者さんのケアに興味を持ちました。

看護師5年目 某大学看護学部 助手

母校に教員として戻り、慢性呼吸不全患者さんのケアに関する研究に産する機会を得ました。そこで出会った患者さん方の苦悩の深さに衝撃を受け、呼吸器の看護を専門的に深めたいと思い、大学院へ進学しました。

当院入職1年目 高槻赤十字病院 呼吸器内科病棟

大学院で専門看護師コースト博士課程を修了し、学んだことを糧に呼吸器疾患を持つ患者さんのケアを実践したいと考え、当院へ就職しました。最初は、病院や当院の患者さんの特徴を理解するために、病棟で急性期のケアや呼吸リハビリテーションプログラム、在宅酸素療法の教育支援等に関わりました。

当院入職2年目 高槻赤十字病院 看護部

慢性疾患看護専門看護師の資格認定を受け、呼吸器専門の看護外来の開設を行い、慢性疾患を持つ人々のケアの質向上を目指して活動をしています。病気を持ちながらも、その人それぞれが望む生活ができるようにサポートを行っています。

K_J

若いころはいろんなことができるようになりたいと気持ちは広く大きく世界へ向かいましたが、今は自分の暮らすこの地域、人々の日々の生活を大切に守りたいと思っています。

看護師7年目

神戸市看護大学に3年次学部編入試験を受けて入学。看護学の基礎を学びなおすと共に、一般教養科目を学ぶことができて大変興味深い2年間でした。文化人類学の授業でスーザン・ソンダクの「隠喩としての病い」という著書に出会い、疾患を抱えながら生きる人々にとっての病の意味やその体験の語りということに感心を持つようになりました。

終末期の看護に携わりたいという思いを抱いて高槻赤十字病院に就職、緩和ケア病棟で勤務を開始しました。緩和ケア病棟での勤務は3年間でしたが、岡田圭司先生から緩和ケア、ホスピタルマインドについて教えていただいた自分にとって大切な時間だったと思います。その教えを通して、緩和ケアは緩和ケア病棟でなければできないケアではなく、自分の中にホスピタルマインドがあればどこでもできるケアだと理解できました。

看護師12年目

結婚して3人の子どもに恵まれました。出産を期に緩和ケア病棟を離れ、一般病棟での看護や外来看護を経験しました。外来看護の経験を通して、病気の人ではなく、あたりまえの生活を送る一人の人として見ることの大切さに気付くことができました。外来の診察までの待ち時間に1ヶ月分の自宅での出来事を患者さんから話を聞くこと、必要な支援を考えることがとても楽しかったです。

看護師24年目

再び一般病棟での勤務を開始しましたが、勤務場所がコロナ病棟として新型コロナウイルス感染者の看護に関わるようになりました。当初は今以上に感染者との接触を短時間にするよう指導され、亡くなる患者さんたちもご家族とは一切面会することができない状況でした。看護師として患者さんやご家族の話を聞くこと、人生の最後を家族とともに過ごせるように支援することを大切にしてきた自分にとってやるせない毎日でした。それでもコロナ病棟のみんなで協力し。カンファレンスを繰り返して闘った時間は遅れてきた青春のような思い出です。

看護師26年目

看護部外来係へ異動、訪問看護ステーションに部分出向を開始、現在に至る。今は外来看護と在宅療養の連携に努力しながら、地域の多職種の方や先生方と協同して働いています。コロナ病棟でのやるせなさ、その人の生活を大切にしたいという思いがあったからこそ、訪問看護に挑戦できたのかなと思います。若いころはいろんなことができるようになりたいと気持ちは広く大きく世界へ向かいましたが、今は自分の暮らすこの地域、人々の日々の生活を大切に守りたいと思っています。自分の子どもも、この地域に守られ育ててもらっているからこそ、私もこの地域の高齢視野や病気を持つ人のお世話をして生きているのかなと思っています。

S_H

現在、急変対応能力の向上に向け、インストラクターとして院内でICLSコースに携わっています。HCUではスタッフへの知識、技術の底上げなど看護の底上げを行っています。自身のキャリアアップとして、特定看護師の取得といずれ管理業務にも携わっていければと考えています。

入職1年目 8病棟

新卒で入職し、循環器、外科病棟を希望し、循環器病等に配属されました。入職時は業務に慣れることが大変でしたが、急性期の患者さんの看護にやりがいを感じました。

入職6年目 5病棟

院内に様々な疾患の重症患者さんが入室するICUの立ち上げがあり異動希望をしました。私には外科経験がなく、ICUに移動する前に外科看護の経験のため、外科病棟で経験を積みました。

入職6年目~現在 ICU(HCU)

外科の看護を経験し、ICUに配属されました。

ICUでは、急性期の患者さんの病態の変化がはやく、先輩方の指導のもと日々学ぶことがとても多かったことを覚えています。より専門的な知識や技術を取得するため、当時の師長さんのサポートもあり、集中ケア認定看護師を目指し、2020年に取得しました。

H_M

日々環境が変わっていく中でも安心して療養してもらえるように、患者様へのよりよい療養環境作りに努めていきたいと思います。

入職1年目 緩和ケア病棟(委託社員)

当時、大阪府内に2番目に建てられた緩和ケア病棟を知り、患者様やご家族様との大切な時間の中で、何か自分もお手伝いがしたいという思いがあり派遣社員として入社しました。

入職4年目~7年目 緩和ケア病棟 当院パート職員から嘱託職員へ

約4年間働き、この病院で長く働きたいという思いがあり、直接雇用に祈願しました。

入職17年目 8病棟(正社員)

患者様が病気やケガをして手術を受けた後も、前向きにリハビリをされる姿に自分自身が励まされ、もっともっと安心した療養環境作りをしたいと感じるようになりました。そして、看護助手の中でも若干名正社員への道があることを知り、応募し正社員として働くことになりました。

N_A

現在は院内医療者としての活動と、チーム医療について積極的に取り組んでいます。

看護師8年目

呼吸器内科病棟・腫瘍内科病棟で働く中で、がん終末期の患者さんへの看護に力不足を感じ、改めてがん看護を学びたいと思い看護師8年目に専門看護師資格取得のため進学しました。
今までがん診断時から急性期治療を主に取り組んできたのですが、学んだ資格を活かし専門的な緩和ケアについて学ぶために、独立型緩和ケア病棟を有する当院に転職しました。

入職1年目  緩和ケア病棟

共に働いていた緩和ケア医師から、がん看護専門看護師として一度は緩和ケア病棟で働く経験をした方が良いと勧められたことがきっかけです。
高槻赤十字病院は独立型緩和ケア病棟を有し、美しい景観に心惹かれました。
緩和ケア病棟では痛みはもちろんのこと、腹水やむくみといった症状も少なく、これまで急性期病棟で悩んでいた症状緩和について学ぶことができました。モニター類の装着もなく、その方のつらさを看て和らげる看護の原点に立ち返ることができました。

入職3年目

現在、緩和ケアサポートチーム専従看護師、がん相談支援センター相談員として、組織横断的に活動し、がんと診断された時から途切れなく継続して患者様とご家族を援助することを目標に活動しています。

高槻赤十字病院での働き方・キャリアパスを少し覗いてみませんか?