再雇用看護師
座談会

これまで看護師として歩んできた私たちが、これからの看護師さんたちに伝えたいこと。

お名前 Mさん
お名前 Kさん
お名前 Fさん

看護がまさに「人生の一部」。
どのタイミングでも自分の人生を真剣に考えさせてくれる病院

ー皆さんのこれまでの看護師のキャリアをお教えください。

Mさん 私は看護学校からすぐにこの病院に入職。3年目で看護学校の教員になりたい気持ちが抑えられず、当時の看護部長と面談したところ、私が本当にやりたいことは「臨床で患者さんの看護をすること」だと気付かせてくれて、思い留まりました。42年間、根底にある「患者さんのケアをしたい」気持ちを力に働き、59歳で退職。両親の介護をするつもりでしたが亡くなってしまい、しばらくして、やっぱり看護に関わりたいと思い再就職しました。今は週に二日半パートで働いています。外来で患者さんと関わることでこの年になっても学べて、仕事がリフレッシュにもなっています。

Kさん 私は日赤以外の看護学校を卒業しましたが、新卒でここに入職、62歳の定年までいました。看護師20年目に取得した皮膚・排泄ケア認定看護師の資格を生かして働くことができましたし、看護師として育ててくれたこの病院への恩返しの意味もあって再就職しました。現役時代は外来の師長でスタッフ管理も業務でしたが、今は肩の荷が下りて気持ち的にとても楽になって、純粋に患者さんと向き合える時間が増えて楽しいですね。看護という好きな仕事ができて、患者さんに「ありがとう」と言ってもらえます。看護が生活の一部になっていますね。

Fさん 私も定年までの42年間、この病院で勤務しました。定年後の今も、緩和ケア認定看護師として培ってきた知識や経験を生かした仕事を継続できています。現役時代、しんどくなったり力不足を感じるたびに、周りのスタッフに話を聞いてもらったり、看護部から環境面でサポートしてもらったりで続けられました。部長や師長などとの面接で「これからどうしたいの?」と投げかけられることが多いんですね。自分自身でキャリアを深く考えられる機会をいただけたことが何回もありました。定年後は親の介護や孫の世話があるので看護師は辞めるつもりでしたが、「週3日勤務でも」と声を掛けて頂いて。介護だけでは自分の心が追いつめられる可能性も考えて、好きな仕事と両立しながら働いています。

患者さんのためにできることを考えて取得した資格
お互いに影響を与え合って続けてきた自己研鑽

ーこれまでの看護師の人生の中での苦労や印象に残っている出来事はありますか?是非具体的なエピソードとともにお教えください。

Mさん 病院内での看護師のキャリアップのきっかけを最初に作ったのはKさんだと思います。Kさんは24年前、1年間休職して自費で東京に行き、皮膚排泄ケア認定看護師の研修を受けて資格を取得されていて。病院内で実績を積む姿を見て、同じように看護の専門性を深めるためのキャリアアップを希望する看護師が増えていきましたよね。時代の流れもあったのだと思いますが、病院も人材育成の大切さに気付き、お金や時間のサポートを手厚くしてくれるようになりました。

Kさん 30代頃からストーマ(人工肛門)の患者さんに関わってきました。ある患者さんにストーマの患者さん達の患者会に連れて行ってくれ、そこで悩みや苦しみを聞き、想像以上に沢山の患者さんがストーマのケアや皮膚トラブルで困っているのも目の前で感じました。「看護師としてこの患者さんたちの役に立ちたい!」と真剣に考えるようになりました。そんな中、私を患者会へ連れて行ってくれた患者さんは脳にがんが転移して、あっけなく亡くなられました。その人に恩返しをしようと思い、皮膚・排泄ケア認定看護師を目指すようになりました。当時、日本看護協会にはまだ制度がなく、だったら外国で研修しようと英会話を習ったりしていたんですよ。その準備をしている間に日本看護協会が皮膚・排泄ケア認定看護師制度の研修が始まり、第3回目の研修を受講して資格を取りました。今は学びたい事に対して病院としてバックアップ体制が整っているので、若い人はどんどん活用して自分の看護を深めていってほしいです。

Mさん Kさんは病院のおぜん立てじゃなく、自分でストマケアの学習会を企画して看護師たちに「来たい人は来てね」って声掛けしていましたよね。そうやって頑張って看護師がキャリアップする道を切り拓いてくれたことが、現在の病院の人材教育につながっていると思う。

Kさん 当時は兼務も認められてなかったので、病棟勤務が終わってから時間外でストマ患者さんのところによく行っていましたね。確かに苦労はあったけど、当時同じ同僚だったMさんたちがその苦労や気持ちを分かってもらえてうれしいし、好きな仕事だからできたんだと思う。なにより患者さんに喜んでもらえたから。資格は取ってからがスタートですし、自分のできることを一生懸命やっていたら、いつの間にか看護部にも認められた感じです。

Fさん 私は様々な病棟での勤務やがんの患者さんに対して、当時の医療では当たり前だった「告知しない」「最期まで黙って家族にしか言わない」といった終末期医療に思うところがありました。終末期の患者さんの残された時間の過ごし方を考える必要あると感じて、緩和ケア認定看護師目指し資格取って、現在まで継続しています。看護師個人の頑張りで終わらせず、病院全体のシステムとしてキャリア構築をする方向に改革してきたわけだから、そういう意味では個人個人の頑張りもきちんと評価してくれるし、何よりも同じ職場の仲間からエネルギーを貰いあえる環境がありますね。

様々な想いをフォローし合える“ちょうどいい”規模

ー高槻赤十字病院の文化や風土は他の看護部とは少し異なり、暖かくも自分たちの看護を見つめ直す空気があるように思います。高槻赤十字病院の看護部さまの魅力はどの部分だと思いますか?

Fさん この病院には、管理者だけでなく近くにいる人が、それぞれを気にかける文化が昔からあるように感じます。私は自分が落ち込みやすいタイプなので、同じような人を見ると声をかけたくなります。自分の気持ちもそうですが、看護観を磨くには、人と看護について話すことが大事だと思うし、自分もそうやって育てられてきたと思いますね。先輩から自分がしてもらったことをまたお返しするような感覚なのですが、そうやって支え合える環境・規模だと思います。

Kさん 私は週二日、病院の総合案内でコンシェルジュをしています。患者さんはもちろんですが、看護師も来て相談していくんですよ。そんな時は自分の経験から気付いたことを話したりします。私自身も患者さんへの情熱で動いたタイプなので、若い人も向上心や学びたい意欲はみんな持っているんだなとうれしい気持ちになりますし、力になれればなと思いますね。臨床だけではなくて、これからの時代は専門知識も必ず看護師には大事になってくるので、自分から積極的に動ける気持ちを持てる、相談できる人がいる環境は魅力だと思います。

Mさん 私は看護への思いや楽しさ、経験を話す環境があれば、若い人たちが将来どんな看護をしたいのか、考えられると思います。私は病棟でも外来でも、患者さんがその場にいないスタッフを褒めてくれたら、本人になるべく早く伝えるようにしています。若い看護師さんは、自分の失敗ではなくその日一日で良かったことを、できたら文章化してほしいんですよね。その文章を後で読めば、自分の成長が実感できるのでは。うちの病院はスタッフ全員の顔が分かる規模で、周囲がフォローしやすい。アットホームで若い人も働きやすいと思います。

いつまでも「看護師として働ける」から人生が充実する

ーこれからの目標や、やってみたいことなどおありでしょうか?これからの目標ややってみたいことなどお聞かせください。

Fさん 両親の介護をしつつ、バランスをとって仕事もしていきたいですね。この状況でも定年前と同じ環境で、緩和ケア認定看護師の資格を生かした仕事を続けさせてもらえるのはありがたいです。自分にできることもやりながら、親孝行もできているので感謝です。

Mさん 今の仕事は65歳で定年。それまでは外来で、高齢者の気持ちを考えたケアを提供していきたい。そのあとはボランティアなど、人と関わる活動をする予定です。まだまだコロナウイルスの猛威もありますが、落ち着いて来たら対面でのコミュニケーションも積極的な活動もしていきたいです。

Kさん これからもやりたいことがいっぱいありますね。今も看護の仕事をしながら、社会福祉施設のフットケアのボランティアと、睡眠健康指導士上級認定の資格を取得したので啓蒙活動をしたい。高槻市の防災指導員資格を生かした活動を続けたいです。今は自治会で自主防災会のメンバーで活動しているんです。また今年から習い始めたピアノの発表会にも挑戦したい。パワフルに生きたいですね。